おいしーモノの想い出 小学校 宇部 その壱

薄れゆく記憶を残しておこう・・・。

 宇部に引っ越ししてすぐに原小学校の1年生に入学しました。
1963(昭和38)年のことです。


 私が住んでいたのは厚南区法寺郷(現東須恵高天原法寺郷)という小野田との境界近くの場所でした。小学校のある妻崎開作の近くには,西沖ノ山という海底炭田があって人口もそこそこ多かったと思います。時は高度成長期,宇部の街中もとても活気があった時代でした。

 宇部新川駅の南西側に三炭町という商店街がありました。初めて連れて行ってもらった頃には,週末はいつも人でごった返していた記憶があります。

 その通りの入口に「日日飯店」という中華料理店がありました。北京料理だと思います。ジャズの生演奏をやっていたりして,子供心にもとても高級な感じのするお店でした。父が何度か連れて行ってくれたのですが,ここの中華料理を忘れることができないのです。八宝菜や酢豚,鶏の唐揚げや豚肉のてんぷらといった定番の料理を頼んでいたと思います。料理もとても美味しかったのですが,忘れられないのは「ご飯!」。黄色くてねっとりした料理の脂がお茶碗につきます。甘くてこくがあり,でもしつこくない脂で,白ご飯がとても美味しく食べられたのです。
 後に職場の同僚(お父様が中華料理店経営)が「それはたぶんピーナッツオイルでしょう。」と教えてくれました。

 食べ物ではありませんが,日日飯店の2軒くらい先に模型店があって,大きな6レーンか8レーンのレーシンクカーのコース(注1)があって,何度か遊ばせてもらいました。その時の自分のレーシングカーは真っ赤なジャガーEタイプでした。

 小学校4年になる時に,西沖の山炭鉱が閉山。1学年6クラスか7クラスあった小学校も3クラスに激減。仲の良かった同級生もたくさん引っ越していきました。三炭町の人出も徐々に減っていったと思います。

 初めての一人での外食だったのは,やはり宇部新川駅の東側にあった「一久」のラーメン。醤油の薄目な味の中華そばないしインスタントラーメンをほんの数度食べた事しかない自分に取って,コクがあって美味いチャーシューの載った豚骨ラーメンは衝撃的な味でした。店に近づくと流れてくる独特の甘い?匂いも食欲をそそりました。(この匂いは,後にラーメン屋さんでアルバイトをした時に,麺のゆで汁を床にこぼし,十分に流して清掃していないと翌日に出てくる匂いだとわかりましたがwww)

 その後、いろいろなお店に食べに行きましたが,「三久」が記憶に残っています。

 大学生の時にはもう日日飯店はなくなっていて,同じ名前のお店を見つけて入りましたが,お店の人と話して三炭町のお店と直接の関係はないことがわかりました。想い出の味には巡り合えませんでした。

 一久・三久共に,その後支店も出したりして,今でも営業されています。1一久は宇部新川のお店,周南のお店に何度が食べに行きましたが,やはり少しずつ味はかわっていくようです。進化というべきなのかな。どちらのお店も,「これこれ,この味だ~」と思ったのは,再会後1・2回だけでした。

 北京料理・ラーメン共に,子供の頃のことなので,想い出・味ともに美化されているのかもしれませんね。
注1;最近では,スロットレーシングサーキットとよばれているようです。

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