スキー場閉鎖

今朝の朝刊に寂しいニュースが載っていた。アサヒテグストンが閉鎖。積雪量減少等により,今後,自己破産せざるを得ない状況だという。

 20代の頃,一度だけ三井野原に初スキーに行った。行った途端に38度前後の発熱。連れて行ってくれた釣り・写真(そしてスキー)の師匠である某雑誌社の編集部長さんが「少しだけ頑張って滑れ」と言うので,何度か教えてもらいながら滑った。初めてなので,滑るというよりは転んでいた方が多かったと思う。汗びっしょりになったところで,「よし,風呂浴びて寝とき」と言われて,宿泊する民宿で熱い風呂を浴びて寝た。翌朝まで熟睡した。熱は下がって元気になっていた。私の体力とその他の状況を把握した上での師匠(山スキーもするアウトドアの達人)の判断だった。私も若かった(笑)一緒に行っていた師匠の弟さんの車の冷却水が凍結してラジエター破裂。師匠の子供さん2人。師匠の弟さんの子供2人。ギャランの後ろに4人の子供を載せて帰った事を今でもよく覚えている。

 1991年。仕事の絡みもあって,スキーをはじめた。それから十数年は毎冬15回程度はスキーに行った。平日,仕事が終わってから,ナイタースキーにもよく行った。

 2011年頃にはスキー板もへたり,フォーミングブーツも寿命が近くなった事もあって,スキー場からは足が遠のいた。
師匠から聞いていた山スキー。20代の頃は,道後山の月見ヶ丘でキャンプを張って滑って降りる山スキーを夢見ていた時期もあった。気に入っていたSL系アルペン板とブーツは処分して,山スキー板を新調したけれど,ブーツまで手が回らず,山スキーも深入山のバックカントリーどまり。ゲレンデに行く気はまったく失せていた。

 2014年に職場の同僚が「レンタルスキー・ブーツ・ランチ付きリフト券がやすく入手できたので,行きましょう」と誘ってくれたのが,アサヒテングストンだった。ここは,かなり遅くなってオープンしたスキー場だったので,1度しか行ったことのないスキー場だった。
2004年アサヒテングストン
(20代の三井野原を除いて)初めてのレンタルスキー。ブーツもレンタルとは思えないほど足になじんで履きやすい,なによりカービングの板は乗りやすくて楽だった。道具の技術進歩はものすごかった。

 翌年も行った。楽しかった。
2005年アサヒテングストン

 もう,スキーに行くことは多分ないだろう。足腰は弱っているし,体幹も衰えていてバランスが物凄く悪くなっている。事情で数年間,登山・スキーをはじめとした運動の回数がめっきり減ってしまった影響だろう。

 その最後の想い出となったスキー場の閉鎖。
寂しくて仕方がない。

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