まとめ 宮島の秘境 岩船岳と御床砲台跡の想出

テレビ番組録画を見ていると,こないだの7/4(水)の19時から放映された「何だコレ!?ミステリー2時間SP 日本の秘境に眠る謎」という番組の中に,「広島・衛星写真で見つけた謎エリア・世界遺産・厳島神社の先にある謎の建物」というのがあった。
番組内容については,(途中の道は厳しいのは確かだけれども,所々にある登山道の標識・看板については全くないように描いている等)若干演出が多いなと感じる部分もあったけれども,懐かしく・楽しく鑑賞させてもらった。

2004年5月にデジタル一眼NikonD70を購入して,2年間は,桜や紅葉・観光地の撮影を楽しんでいた。。

2006年の4月。ふと思い立って,写真撮影のために2週連続で極楽寺山登山をした所,その年の健康診断で,血糖値・コレステロール・中性脂肪などの数値がすべて正常値に戻った事に気をよくして,登山をはじめることになった。

2007年1月には,御床山砲台跡地へたどり着くための前段階として途中にある岩船岳まで,御床砲台跡地探索の同志=健脚・登山ベテランのヨシリンに一緒に歩いてもらい,帰路は御床浦へ降りて海岸線の帰路ルートの確認もしておいた。

初めて御床山砲台跡地を目指したのは,2007年2月初旬
岩船岳も当時は結構な秘境だった(と思う)のだが,写真撮影が目的の自分に取っては岩船岳は通過地点でしかなく,最終目的地として目指すのは御床砲台跡地だった。
ヨシリンだけでなく,登山経験は浅いものの体力は自分よりはある次男坊も同行。
岩船岳までは難なく到達できたけれど,岩船岳山頂と御床砲台跡の中間地点の尾根で踏み跡がなくなり,ヨシリンが「やぶ漕ぎ尾根を直進がルート」というのに,自分の中途半端な勘とGPSの読みから右手のやや藪の少ない方へと降りてしまった。(後でヨシリンの言った方向が正解だったと解り,激しく反省)
藪は多少少なくなったものの,踏み跡は全くなくなり,沢の先では3メートルくらいの直壁の岩場がいきなり現れ,肝を冷やした。足を踏み出していたら転落事故につながっていた所だった(滝汗)
海岸に出てからは,大潮の干潮。奇岩や対岸の景色を楽しみながら,明るい砂浜をテクテク歩き,御床神社を経由して帰ることができた。

同年の11月には満潮時でも迷わずに帰れるように,往復海岸沿い歩きの御床神社参拝ツアーに参加させてもらった。この時は大人数でワイワイ歩いて,きつい登りもなく,御床神社ではライアの奉納演奏を聴かせてもらったり,内侍岩の上で有子内侍の真似をして手を振ってみたり,楽しいツアーでしたw
内侍岩伝説(宮島観光協会ウェブサイト)
http://www.miyajima.or.jp/legend/legend_tale04.html

2008年3月 御床砲台跡初探訪
初めて御床砲台跡地にたどり着いたのは,翌2008年3月中旬。
地元登山愛好家の方達か研究者の方のテープやシダ・下草刈りでルートがわかりやすくなっているという情報があったし,相棒のヨシリンも日程の都合がつかないという事で,単独で行ってみた。
長くなるので,この時の日記は別のライフイベントに書きます。
中高年の山歩き・山ガールという言葉が流行の真っ盛りで,岩船岳や御床砲台跡地もこの頃から「謎」という言葉には???が付き始めでしたw。でも秘境という事にはかわりはないかな。

2009年1月 コミュイベントで岩船岳。御床砲台跡地。
13名の大パーティ。岩船岳山頂で自分のサプライズバースデイパーティをしてもらい,山頂で豪華なケーキを食べさせてもらう。
ところが御床砲台跡地をまっすぐに突っ切るルートをとらないといけないのに,左手に降りてしまい,予定の須屋浦・御床浦とは真反対の山白浦におりてしまった。おまけに足踏み外して,転落。深いシダがクッションになって怪我はしなかったけれど,この後,元のルートに戻るのに,オーバーペースで先頭を歩き,自分の鈍足さを知る人達はかなり心配していたらしい。
御床浦に着いた頃にはとっぷりと日も暮れて,以降はキャップライト頼りの山道歩き。
フェリー乗り場にたどり着いたのは21時。遭難寸前の登山となりました。大反省。

2009年2月  コミュイベントで再び岩船岳。御床砲台跡地。
コミュでの希望がとても多かったので,再び岩船岳。御床砲台跡へ。
12名のパーティ。昼前には御床砲台跡地に到着。長浦でのんびり休憩。御床神社でティータイム。
内侍岩や室浜砲台跡・広大植物園もゆっくり散策することができた。

2010年1月 コミュイベントで再び岩船岳。御床砲台跡地。
16名。この時は朝,岩船(岩船登山道入口をタクシー運転手さんはこう呼びます)まで送ってくれた宮島タクシーさんが,17時までの営業の所を,17時すぎまで,しかも2台体制で待っていてくれて,大感謝だった。

2012年4月
メンバー5名でのんびり歩く。
この頃から諸般の事情で山歩きに行きづらくなって,この時が現在までで最後の御床砲台跡地探訪となっています。

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